小笠原ってどんなところ?
1000km離れていても、実は東京都!
小笠原への唯一の交通手段は船。
小笠原諸島は東京の南、はるか1000kmにある島々で、全域が東京都小笠原村に属しています。
聟島(むこじま)列島、父島列島、母島列島、火山列島(硫黄列島)の4つに分かれており、村の中心は父島にあります。
大小30余の島々からなり、人が暮らしているのは父島と母島だけです。
小笠原に飛行場はありません。
小笠原を訪ねるには、普通は小笠原海運のおがさわら丸で行くしかなく、母島へは父島よりははじま丸が就航しています。
- 大島
面積:91.1km2/周囲:50km/標高:758m(三原山)/人口:8,100人/東京~120km/接岸港:岡田港又は、元町港/【船】東京,熱海,伊東,稲取 - 利島
面積:4.2km2/周囲:8km/標高:507m(宮塚山)/人口:300人/東京~140km/接岸港:利島港/【船】東京
鵜渡根島(うとねしま)【標高210m】は利島と新島の間に位置する無人島である。 - 新島
面積:23.9km2/周囲:28km/標高:432m(宮塚山)/人口:2,300人/東京~150km/接岸港:黒根又は羽伏浦港/【船】東京,下田/
式根島 面積:4km2/周囲:12km/標高:105m(カンビキ山)/人口:600人/新島~5km/接岸港:足付、野伏港/【船】東京,下田 - 神津島
面積:18.6km2/周囲:22km/標高:574m(天上山)/人口:1,900人/東京~175km/接岸港:前浜港又は多幸湾/【船】東京,下田 - 三宅島
面積:55.5km2/周囲:35km/標高:815m(雄山)/人口:2,600人/東京~180km/接岸港:三池港又は錆ガ浜港/【船】東京 - 御蔵島
面積:20.6km2/周囲:16km/標高:851m(雄山)/人口:300人/三宅島~18km/接岸港:御蔵港/【船】東京 - 八丈島
面積:69.5km2/周囲:59.5km/標高:854m(八丈富士)/人口:7,800人/東京~290km/接岸港:底度港又は八重根港/【船】東京/
青ヶ島 面積:6km2/周囲:9km/標高:423m(大凸部)/人口:200人/八丈島~67km/接岸港:三宝港/【船】八丈島
おがさわら丸 運航基準図 | |
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東京→父島 | 父島→東京 |
東京竹芝11:00 | 父島 二見港15:30 |
↓(3時間10分) | ↓(9時間40分) |
洲崎14:10 | 鳥島1:10 |
↓(4時間40分) | ↓(6時間40分) |
八丈島18:50 | 八丈島7:50 |
↓(6時間30分) | ↓(4時間40分) |
鳥島1:20 | 洲崎12:30 |
↓(9時間40分) | ↓(3時間00分) |
父島 二見港11:00 | 東京竹芝15:30 |
父島は北緯27度5分、東経142度11分にあり、おがさわら丸は竹芝桟橋より24時間で父島の二見港に到着します。
面積は23.8km2で、東京都千代田区のほぼ2倍です。
母島は北緯26度38分、東経142度9分、父島の南約50kmにあり、二見港からははじま丸で約2時間かかります。
面積は20.21km2で東京都北区とほぼ同じです。
年間を通じて亜熱帯気候。
貴重な動植物の宝庫で、東洋のガラパゴスと呼ばれています。
気象学的には亜熱帯に属し、年間を通じて気温の変化が少なく、年間の最低気温は15度程度、最高気温は32度程度で、年平均は23度。東京本土が氷点下の寒さから35度を超える暑い日があることを考えると、たいへん過ごしやすい気候です。
過去5年平均値 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
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最高気温(℃) | 20.0 | 20.4 | 21.7 | 23.1 | 25.4 | 28.4 | 30.4 | 30.5 | 29.8 | 28.0 | 25.7 | 22.2 |
最低気温(℃) | 15.0 | 15.2 | 16.5 | 18.2 | 21.2 | 24.6 | 25.7 | 25.8 | 25.6 | 24.2 | 21.1 | 17.6 |
降水量(mm) | 62.9 | 40.0 | 21.2 | 87.9 | 159.9 | 85.9 | 27.5 | 154.7 | 210.4 | 156.8 | 126.8 | 91.7 |
水温過去平均(℃) | 20.1 | 19.0 | 19.7 | 22.8 | 24.2 | 26.3 | 27.4 | 27.0 | 27.4 | 26.3 | 25.8 | 24.4 |
植物ではオガサワラビロウ、タコノキ、シダ類が繁殖しています。
街のいたるところにハイビスカスやブーゲンビリアが咲き、観光客の目を楽しませてくれます。
ガジュマル、ヤシ、バナナ、オレンジ、パパイヤが自生したものも見られます。
小笠原の動植物は固有種が多く、天然記念物に指定されているものも多くあります。
動物ではオガサワラオオコウモリ、鳥類では世界中で母島でしか生息していないハハジマメグロ、アカガラシラカラスバト、オガサワラノスリが生息しています。
昆虫ではオガサワラシジミ、シマアカネ、オガサワラトンボなど。その他にも、コハクガイ科、ベッコウマイマイ科、カサガイ、オカヤドカリなど、貴重な生き物が生息しています。
また、低い緯度による本土では見られない美しい星空でも知られ、ハレー彗星や皆既日食・月食時には多くの天文ファンが訪れました。
南十字星も季節によって上の一部が見られます。
イルカ・クジラ・海ガメ・・・。美しい海中は動物たちの楽園。
目を海に転じますと、そこは海の生き物たちの楽園です。
イルカは一年を通じて会うことができます。
人なつっこいハシナガイルカやミナミハンドウイルカがボートに並走して泳いでくれたり、時にはジャンプも見せてくれます。
クジラとの遭遇は季節により異なります。
1月頃から4月中旬頃までは、島の近くでザトウクジラと、高い確率で会うことができます。
ザトウクジラはこの季節、小笠原の近海へ出産や子育てのためにやってきます。
運が良ければ親子のザトウクジラと会うことができるかもしれません。
5月頃から秋頃までは、少し離れた海域で、四角い頭がいかついマッコウクジラと会えることがあります。
イルカやクジラの他にも、海に出るとアオウミガメと会えるかもしれません。小笠原の浜辺は、アオウミガメの一大産卵地でもあるのです。母島の沖港近くの脇浜なぎさ公園には、アオウミガメの産卵保護施設があります。
また父島の製氷海岸近くの小笠原海洋センターも、アオウミガメの保護に携わっています。
“小笠原”の名前は発見者から。
1593年 (文禄2年) |
信州深志(松本市)の城主小笠原長時の孫、小笠原貞頼(おがさわら・さだより)が発見したと伝えられています。つまり小笠原は発見者の名前を取って名づけられた島です。 |
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1830年 | 欧米人とハワイ原住民がハワイから天然の良港である父島二見港まで来て最初の居住者になりました。 |
1853年 | アメリカ東インド艦隊司令官ペリーは日本に来る途中、沖縄から二見港に寄港しました。交流が活発になるにつれ、幕府は1861年に外国奉行水野忠徳らに小笠原調査を命じ咸臨丸を派遣、居住者に小笠原は日本領土であること、先住者を保護することを呼びかけ同意を得ました。 |
1876年 (明治9年) |
国際的に日本領土となり、当初は内務省管轄でしたが1880年(明治13年)に東京府の管轄となりました。 |
1927年 (昭和2年) |
即位されたばかりの昭和天皇は戦艦山城で父島・母島に行幸され、今でもその記念碑が残っています。戦局が厳しくなった1944年(昭和19年)、住民6886人は本土へ強制疎開されましたが、軍属として残された者も おりました。 |
1945年 (昭和20年) |
2月から3月にかけての硫黄島の激戦は日米あわせて27,000人近い戦死者を出しました。 |
1946年 (昭和21年) |
小笠原は米軍の直接統治の下に置かれ欧米系島民の帰島が許されました。以後根強い交渉の末、1968年(昭和43年)4月に小笠原返還協定が調印され、6月26日小笠原諸島が日本に返還されました。 |
1972年 (昭和47年) |
小笠原国立公園に指定され、美しい自然の残る島として親しまれています。 |
2011年 (平成23年) |
人類共通のかけがえのない財産としてユネスコ世界自然遺産に登録されました。 |
この島々の基幹産業は観光業!
あたたかいおもてなしにきっと感動するはず。
人口は戦前のピーク時は7,711人を数えましたが、今は2,593人(平成28年12月1日現在)です。
村役場のほか東京都の小笠原支庁がおかれ、警察、小中学校、都立高校などがあります。
商店は港を中心にあり、日常の食料品や生活用品にはとりたてて不自由はありません。
主な産業は農業、漁業、観光業です。
農業は亜熱帯の気候を活かし、トマトなどの野菜、花卉、パッションフルーツなどの熱帯果樹が育てられています。
漁業はシマアジ、マダイ、カンパチなどが島内消費およびおがさわら丸にて本土に出荷されています。
小笠原では、はるばるお越しくださったお客様を心からおもてなしします。
宿泊施設、観光施設はもちろん、お店や街の人々にいたるまで、短い滞在期間を最高に楽しんでいただけるよう努め、また、おがさわら丸が父島を離れるときは、まるで島中の人が来たかと思うほどの盛大なお見送りを見ることができるでしょう。
湾を出るまで何隻もの船が並行して走り、別れを惜しみます。
小笠原の人々の厚い心に触れ、また来よう、また帰ろうと思わずにいられません。